ここ数日は痛み止めが切れて目が覚める日々が続いている。今日は何故だかまだそんなに痛まないのに突然目が覚めてしまった。
こうゆうときに息を吸うように言語化できないかと思ってさっとブログを書いてみる。
クオリティーは気にしない、推敲はしすぎない、感覚でもいいから置いておく。
発信をするようになった3月から痛感することがある。
社会と関わっている
という感覚だ。分野にもよるかもしれないが、基礎医学研究者の生活はかなり閉じている。毎日同じ研究室に通い、同じような顔ぶれしか見ないという生活をもう10年近く続けている。
こうした生活を続けていると研究が人生の全てになってしまう。それはいいことでもあって悪いことでもある。いいところと言えば集中だろうか。没頭する、というところが研究には不可欠で、それだけにただ一生懸命になるからこそ世界で初めての発見につながるし創造ができる。(研究は新しいことを発見することなのだけれど、create創造 だと自分は感じている、なんでかはまだ言葉にできない)
一方で、研究という活動は社会全体のほんの一部であるという感覚を得にくくなる面があるように思う。このことを頭ではわかっていたとしても、体感にまでつなげられている人はあまり多くないような気がする。特に自分のように研究室にしかいたことがない人。
自分はずっと研究室にこもって来て、とかく社会のことをなんにも知らない。お金をもらって働くことを、社会人と定義するのであれば、まだ自分は社会人3年目と言えるのだけれど、それが言い訳にならないほどなんにも知らない。
視聴者・フォロワーの皆さんや、発信での活動を通して関わる人々との交流がとても学びにつながっていて、人間としての成長につながっているように思う。
人間生物学というカテゴリーに長く身を置いてきたが、人間学の扉の前にやっと立ったような気がしている。
そもそも社会ってなんなんだろう、人が三人集まったら社会がはじまる、という表現も聞いたことがあるが、まあ今日はいい。ここまであまりストレスなくさっと書けたのでこの記事はこの辺で。
意図せず目覚めた夜中や明け方に不思議な程思考がクリアな時がありますね
返信削除お痛み、お大事になさってください
ありがとうございます、痛み止めさまさまです。
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